小学校の校庭はお墓だらけ

着の身着のまま私はお風呂からでたままで、シミーズ一枚足は転がっていたポックリを履き
母に手を引かれ祖母と3人トボトボと小学校に収容されました。体育館みたいな所に雑魚寝状態で、近辺に住んでいた日本人は皆、此処に連れてこられました。おなかはぺこぺこでその時、おにぎりを2個ずつわたされました。この美味しかった事、60年たった今でも、鮮明に覚えています。しかしそれが最後でつぎからはコウリャンか粟の食べ物ばかりお米は一粒もなく、そのまずさに皆、食べられず、栄養失調になり次々子供や赤ちゃんは死んでゆき、校庭はお墓の山になってしまいました。