日本への帰国がかなった昭和21年5月に

日本は、敗戦し父たち日本の兵隊は、ロシア軍に捕まり満州よりもっと寒い冷たいシベリアに連れて行かれるところ、父は貨車から飛び降りて、逃げたそうです。私達家族を探し求め、尋ねあてて、その小学校で、幸いにも奇跡的にも、会う事が出来ました。兄だけは、旅順の高等学校の寮に入って居ながら終戦になってしまい、とうとう日本への帰国は別々になってしまいました。日本人と判ると子供でも石をぶつけられ、
13箇所の逃亡生活の末、やっと翌年の5月に日本への帰国が決まりました。乗船する時、身体検査をされ、すべて没収され、1人1000円だけ、持って行く事を許可されたと、後でききました。