2006-05-01から1ヶ月間の記事一覧

ハワイ島の雨水タンクにビックリ!!

ハワイ島に移動しました。のんびりとした、大らかな人びとが魅力的でした。民間の家にそれぞれ泊めて頂きました。家の裏に大きなアメリカ杉で出来た120年もたつという雨水タンクにはビックリしました。そのアメリカ杉の伐採が制限されているので、高価に…

ハワイオアフ島の雨水利用は?

オアフ島に着きました。地元の住民110万人と年間600万人からの観光客が訪れる島の水道資源は、ほとんどは地下水だと聞きました。火山がつくった島の地下には水量豊かな水の層が埋まっていて、山の東斜面に多量な雨が降り、東京の約5倍の降水量があって、過…

私と雨水利用との出会い

私と雨水利用との出会いは、1994年の夏に、墨田区で、雨水利用国際会議が開催されるという事を新聞で読み、前々から雨水がもったいない、みんな下水道に流されて、地面に浸透することも出来ず、利用される事もなく、何とかならないか?と漠然と考えてい…

その気になれば何でも出来る、挑戦する気持ちが大事

1986年10月急遽社長業を引き継ぎ、仕事を継続した。その為には今まで空調設備工事を主にやってきたが、これだけでは将来むずかしいと思い、まず必要なる、各資格を取得するための勉強をしながら、仕事をし、またリウマチの治療に週に1回千葉まで通い…

世の中には、まさかという坂がある。

まさかという、私には考えられない事が起きてしまい、すっかり動転してしまいました。人一倍元気で、弱い私の面倒をみてくれて、イタイイタイと甘ったれていた自分が情けなく、自分のことにかまけて主人の健康を本気で瑕かっていたなら、お酒の飲みすぎ、タ…

青天の霹靂という、人生にはとんでも無いことが起きる

約1時間半かかって週1回通うことになりました。バランス健康法という身体に仕組みバランスが整っていないと、いろいろな病気になるということで、初めの頃は車を運転して着くなり寝かせて頂き、番のくるのを待つ状態でした。薬をのんではいけない、必死の思…

病院はこりごり、私のこの病状には合わない!

事情を説明したが注射をした先生は帰られて、居られず、当直の先生が私のカルテをご覧になり、これは強かったなとおっしゃった、が、今更どうしようもなくベットも空いていないという事で、取りあえず家に帰って参りました。もう病院は信用出来ない、へたす…

強い注射をされ本当にもう、死ぬかと思いました。

外に出て、車を運転して、サミットで混んでいる道路、のろのろと走っているうち、突然息が苦しく呼吸が出来ない・・という、状態になって、もう苦しくてどうにもならない、窓を開けたり鼻をかんでも、もう死んでしまう!!死ぬってこんなに苦しの、目の前に…

リュウマチに効く、良い注射があると先生はおっしゃった。

その病院の先生は、その薬も良いけれどこの病院にはもっと効く注射があります。この方が楽になれます。とおっしゃって注射をしてくれました。1ヶ月は楽ですよ、とおっしゃったとうり1ヶ月間今までの痛みが軽減されていました。そしてまた、病院に行きました…

リュウマチの名医と聞き、京都へ向かう

一体何が悪いのだろう、家系的にはリュウマチの人は居ないのに、家相が悪いからか、などと、とても悩みました。近所の内科で痛み止めの薬を飲みつつ、仕事と家事は続けながらある時、雑誌で京都の病院にリュウマチの名医がいらっしゃると言うことで、尋ねて…

リュウマチの痛みと戦い、はたして、その原因は何でしょう

日に日に各関節の痛みが広がっていく、朝起きるのが辛い、体がだるく、寒くてたまらない状態が続きました。リウマチに良いときくと何でもやってみました。でも病状は悪化するばかりで、精神的にも1番辛いときでした。何が原因なのか、その時の寝室は工場を…

慢性関節リュウマチと診断されてしまった。

昭和53年頃から朝起きる時、両手の指がこわばって、あれっと思っているうちにだんだん痛みが出るようになり、足の関節、手の関節が相対的に痛み出してきました。しまいに歩くのも痛くなって、仕事はしなくてはならず、お舅、お姑さんと同居です。イタイイ…

2階建ての木造の事務所とアパートができました。

昭和51年に新築しました。1階が事務所と倉庫、2階は建築費を返すため3世帯のアパートにしました。(有)サンエー住宅設備として主にナショナルの空調工事、設備工事をしておりました。忙しいわりに苦しい生活でしたが、夢いっぱいもって主人と二人で、…

結婚しました

私達年代以前の方々は、多かれ少なかれ自分の意志の他で、困難な経験を経ていらっしゃると思います。その起き上がるパワ−が日本戦後の復興を可能にした原動力になったと思います。 横道に反れてしまいました。 両親は葛飾の高砂に借家を借り材木店を始めまし…

初めて見た日本上陸

私にとって初めて見る日本、博多に着き、上陸し町を見た時に、茶色の家と黒い屋根、屋根がばかに低くい様に感じました。満州では、赤茶色したレンガ造り、床はオンドルという床暖房そしてスト−ブ寒い地方なのに寒かったという覚えはありませんでした。とても…

日本への帰国がかなった昭和21年5月に

日本は、敗戦し父たち日本の兵隊は、ロシア軍に捕まり満州よりもっと寒い冷たいシベリアに連れて行かれるところ、父は貨車から飛び降りて、逃げたそうです。私達家族を探し求め、尋ねあてて、その小学校で、幸いにも奇跡的にも、会う事が出来ました。兄だけ…

小学校の校庭はお墓だらけ

着の身着のまま私はお風呂からでたままで、シミーズ一枚足は転がっていたポックリを履き 母に手を引かれ祖母と3人トボトボと小学校に収容されました。体育館みたいな所に雑魚寝状態で、近辺に住んでいた日本人は皆、此処に連れてこられました。おなかはぺこ…